夫の会社が倒産。かと思いきや旦那の嘘が次々発覚し離婚。

夫の会社が倒産。かと思いきや旦那の嘘が次々発覚し離婚。

体験者プロフィール

  • 地域:愛媛県
  • 年齢:41歳
  • 職業:専業主婦
  • 家族構成(同居):子供、実両親
  • 世帯収入:100万未満

離婚時の状況

  • 離婚時年齢:41歳
  • 婚姻期間:31歳から41歳まで10年間
  • 家族構成(同居):子供、実両親
  • 世帯収入:100万未満
  • 職業:パート・アルバイト
  • 慰謝料:無し
  • 子供: 8歳、1歳 親権母
  • 養育費:無し

離婚を決めた理由・原因

元々はそれなりに収入もあり、息子を名門私立の幼稚園へ入園させるなど幸せな生活を送っているつもりでした。
しかし、元夫は会社をしていたのですが、社員のミスのおかげで倒産しそうになり、社長を譲り平社員になった。と聞いておりました。
その為に収入がなくなり、カードの支払いができなくなり、家賃もはらえなくなり、食べるお金がなくなったので、息子と当時妊娠していた私は、私自身の実家へ帰りました。
元夫はこっちでやれるだけのことはやり、またすぐに家族で住むために頑張るからとの事でした。

それから連絡はとれるものの生活費を全く送ってもらえないまま3年たちました。
私は自分の両親のすねをかじりながら、児童手当をやりくりして何とか生活をしていました。
しかし、やはり生活は苦しく、上の息子が病気になっても病院へ連れていくことも出来ませんでした。
下の息子だと、病院代がかからないので、そこで薬をもらい、上の息子に飲ましている状態が続きました。

仮に離婚をすると、母子扶養手当がもらえたり、病院代が無料になったり、私たち家族にとってのメリットはたくさんありましたが、
元夫は人柄も良かったし、家族に対しての愛情を、私は感じる事が出来たので、
もし離婚をすれば元夫自体がかわいい息子の為に頑張っているのを邪魔するようで、離婚をしようとは考えていませんでした。

しかし、時間がたち、お金を送る送ると毎回のように電話で言われ、なにかと理由をつけて送ってもらえなかったり、
連絡がとれなくなってしまったり、そういう事が続き、とうとう私は夫に離婚を切り出すことにしたのです。
「もしかりに、2-3か月生活費としていくらかでも、まとまったお金をおくってくれたのなら、先の事を考えたいけど、そうでないのならば、籍をはずしてほしい。そうすれば、息子達を病院にかよわすこともできるし、手当がもらえるから楽になる」と伝えました。元夫は「わかった頑張るから」ということで1か月たちました。

しかしお金はやはり、おくってもらえませんでした。そして、また夫と連絡がとれなくなったのです。
その時初めて緊急連絡先の番号に電話をかけてみました。取引先の社長さんがでられ、探してもらうと、部屋で倒れていました。
それから急いで私はそちらへ行き、色々な話を聞きました。すると、結婚した時から会社を経営していなかったこと。卒業した大学はうそだった事。
お金は本当は入ってきていたのに、こちらに振り込んでなかったこと。相手先には私がとりこんでお金がもらえないと言っていたこと。

10年夫と一緒にいて私が知っている間違いないことは、名前と生年月日、実家ぐらいだという事がわかったのです。
確かに、一緒に生活している時は、どこかに働きにいっていた形跡があるのに、何処で働いているかもわからず、お金も入ってこないで、不思議な事だらけでした。
しかし、本人に問いただしても、的を得た答えをもらう事はできませんでした。
元夫に、「別に私は怒ってもないから安心してほしい、ただ、今は話せないから話してないだけかもしれないけど、落ち着いたら、私の疑問を応えてくれたら嬉しい。」
とつたえ、離婚を決意しました。

離婚前に不安だったこと

・息子達をこれからどうやって育てていくか。学校をちゃんと卒業させてやれるのか。大学まで行かせてやれるのか。
・下の息子は元夫の顔はほとんど知らないので大丈夫ですが、上の息子が、私と元夫が離婚した時に、どう思うのか。
・私名義で利用した借金の返済方法

離婚までかかった期間、離婚までの簡単な流れ

離婚の話をしたのが1月、倒れたのが2月、離婚をしたのが3月で全部で3か月ほどでした。
流れは、病院に、入院していましたので、離婚の話を切り出すと、もともとしていたのでもめる事もなく納得しあいました。
県外だったので、一度私の実家へ帰り、手続き等調べ、ハンをおして出せれるような状態にして、
また、夫の病院へいき、ハンを貰い、本籍地に離婚届を提出しました。

離婚前に準備していてよかった事や、過去を振り返って離婚前にしていれば良かったと思う事

特に準備はしていませんでした。離婚前にしておけばよかったということも、ピンときません。
ただ、ずるずるではなく、気持ち的に早く離婚を切り出し、結果を出しておいた方が良かったのかと感じています。
もともと、お金がなくて別居をしており、本当に籍を抜くだけというかんじだったので、
通常でしたら、離婚後の生活費のためのヘソクリであったり、住むところをきめておくとか色々あったのでしょうが、
私の場合はそれは当てはまりませんでした。

離婚の際に一番大変だったこと

元夫が倒れてからの流れで、元夫は病院に入院をしていましたので、すべて私が動きました。
また飛行機で1時間半かかる距離だったので、度々行ったり来たりすることも不可能でした。
なので、漏れがないよう、忘れ物はないかなど細心の注意を払いました。

また私の今後の母子扶養手当のもらえる期限が月末で、それをこえるとその月はもらえなくなるため、調整に苦労しました。
本籍は夫がいる側にあり、離婚届を出すところにより手当の手続きに間に合わない可能性があったからです。

離婚して良かったこと

全く収入がなかったのですが、母子扶養手当として少しでももらえるようになったこと。
病院代がかからなくなったために、息子が病気で苦しんでいる時も、病院に連れて行けた事。
お金を振り込むといわれ、いつはいるのかと振り回され、又、入れなかった時の絶望感といらだちに
振り回されなくてすっきりしたこと。

踏ん切りがついて、私自身今後の就職活動の為に勉強を始める事が出来たこと。心置きなく働きに出れたこと。
両親に心配をかけていたのをとりあえず決着がついたと報告出来た事。

離婚して悪かったこと

元夫は借金があったらしく、夫名義でお金を借りる事やカードを作ることが出来ませんでした。
なので、借金名義はすべて私でした。
始めのうちは私自身の親兄弟にお金をかりて食べつないでいたこともあり、800万円近いほどの借金があります。

倒れてしまったので、養育費、慰謝料を貰う事も出来ず、仮にそれはよいとしても、
苦しいときに無理をさせて貸してもらったお金だったので、両親などに借りたお金を返してもらえないのが、
気持ちの上でつらいです。

返すと言いながらも全然返すことができてなく、離婚をすることにより踏み倒されてしまうのかなあと、
両親や兄弟の気持ちを踏みにじったようでとても苦しいです。

離婚の意志を伝えた時の、相手や周りの反応

本人は納得していました。仕方がないと思ったのだと思います。
私にとって義理のお母さんと弟さんも私に対して悪いという気持ちが多いように感じられ反対されることもなかったです。

私側の身内は、やっと別れること出来るのかと応援してくれる感じでした。
又第三者の倒れてからお世話になってくれた人などは、情に流されずちゃんとけじめをつけないと、
これから子供を育てていかないといけないんだから、しっかりしなさい。この選択は間違えてないと言われました。

お金の準備について(方法・金額)

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今離婚を考えている・離婚をしたい人へ

自分の直感は正しいのかもしれません。
私は離婚が頭によぎることがあっても、もしかして大丈夫?とか考えすぎ?とか、心のどこかで、
離婚をすれば、自分が苦労するのがわかっていましたので、何かと理由をつけて、夫婦生活、
家族生活が破たんしているのを気が付かないふりをしていたのだと思います。

人それぞれ離婚をする理由が違いますし、私の場合は暴力をふるわれたとか、
嫌でたまらなくなったとかではありませんので、いいアドバイスはできませんが、

それでも、自分がおかしいと何かを感じたのであれば、それに対してなにか行動を起こしたり、
立ち向かっていかなければいけないのでしょうね。

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